ボルヘス『バベルの図書館』『円環の廃墟』
ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、自己言及の巨匠と呼ばれる存在です。
たとえば『バベルの図書館』では、宇宙そのものが無限の本で構成された図書館であり、「すべての本が書かれている」とされます。
そこに含まれる本には、この図書館について書かれた本もあるのです。すなわち、図書館は自分自身を記述している。
『円環の廃墟』では、夢の中で人間を創った男が、最後に自分自身が誰かの夢であることに気づきます。
これは自己言及のメタ構造そのもので、「作者=読者=登場人物」がループする構造を持ちます。
イタロ・カルヴィーノ『もしも旅人が冬の夜に』
この小説は冒頭から「あなた(読者)」に語りかけてきます。しかも、読み進めるうちにどんどん別の本の冒頭に飛ばされていき、物語がまともに進みません。
最終的には、「本を読むという体験そのもの」がテーマだったと気づかされる、読書という行為の自己言及的体験を設計した作品です。
アートにおける自己言及:アートとは何かを問うアート
マグリット『これはパイプではない』
ルネ・マグリットの有名な絵画『イメージの裏切り』には、パイプの絵とともに「これはパイプではない(Ceci n’est pas une pipe)」と書かれています。
これは単なる否定ではなく、「これはパイプの絵であって、実物のパイプではない」というアートが現実を模倣していることへの自覚=自己言及です。
現代アート:コンセプチュアルアートの自己言及性
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ソル・ルウィットの**「指示だけで成り立つ作品」**(アートがアートを生む)
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ジョセフ・コスースの『一と三の椅子』(実物の椅子・椅子の写真・椅子の定義文)
これらはすべて、「アートとは何か?」「見るとは何か?」をアート作品が自ら問う形式になっており、鑑賞行為そのものをアートに組み込んでいます。
自己言及の効果:存在の基盤を揺るがす
自己言及的作品は、以下のような効果を生み出します:
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認識の揺らぎ:「何が現実で、何が物語なのか」があいまいになる
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メタ的知覚の喚起:作品の構造や文法に目が向く
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観る自分を観る自分への気づき:自分の思考や感覚が作品に巻き込まれていることを自覚する
このように、自己言及は単なるテクニックではなく、知覚・思考・芸術の根幹を問い直す手法として使われているのです。
結論:自己言及はアートの“意識”を解き放つ
自己言及は、あらゆる表現の中に潜む「見る者/読む者の枠組み」を暴く力を持っています。
「作品の中に作品がある」「観客が観られている」という構造は、20世紀以降の芸術の核心です。
それはまるで、鏡の中に鏡を置いたときの果てしない反射のように、私たちの存在と認識の根底を揺さぶり続けているのです。
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