野田家とくまもと地震

2016年4月14日 21:30

僕は友人とご飯を食べていた。
他愛もない話をし、いつもどおりの夜。

僕は会話をしながら
手元の手羽先をいつ食おうかずっと考えていた。

会話が途切れた時、
ここぞとばかりに手羽先に手を伸ばした瞬間

 

ドンッ!

世界が揺れた。

その瞬間、手羽先は目の前から飛んでいった。

僕は今まで経験したことの無い揺れに
地震と理解するまで数秒かかった。

揺れは止むことなく
壁に置かれていたキープボトルをすべて粉々にした。

心臓がバクバクと音を立てた
天井が落ちてこないか?
僕はずっと上を気にしていた。

そうしている内に揺れは収まり
店内は徐々に落ち着きを取り戻した。

店員がお客さんを落ち着かせようと
笑顔で声をかけていた。

そして何も無いところでコケた。

それくらい揺れていたのだ。

僕はとりあえず家に電話し
家族の無事を確認した。

とにかく早く帰らなければ

友人と別れ
自転車で家路へと急ぐ
帰路の途中、何度も足元が揺らいだ。

家に帰ると、家族はいつもどおりで
35年ローン組んだばかりの家も無事だった。
ホッと胸をなでおろした。

その夜は、多少不安になりながらも両親はいつもどおりの時間に就寝し
兄はアクション映画を見始めた。
さすが野田家。

そんな脳天気な家族を横目に
僕も嫁も息子も
いつもどおり、いつもの寝室で眠りについた

このとき、熊本県民のほとんどが
油断していた。

クライマックスの終わった映画のように

 

2016年4月15日

僕はいつもどおり出社した。
会社は水漏れで水浸し。
会社で残業していた人たちがいたので
PCは無事だった。
グッジョブ!

みんな、冗談まじりに地震のことを話したり
余震の震度当てなんかをしていた。

そこには不安定でありながら日常があった。

その日はみんな早く帰った。
僕も早く家族に会いたかった。

夜は余震に慣れてきて
みんなどこか余裕があった。

前日地震で寝れなかったこともあり
僕と嫁は息子を寝かしつけるはずが
気づけば一緒に寝ていた。

 

 

2016年4月16日 25:25




どどどどどどどどどどどどっ!!

 

僕は今まで感じたこと無い
激しい揺れと轟音に叩き起こされた

バチン!
つけたままだったの電気は音を立てて消えた

寝ぼけた頭でも一瞬で分かった
前回の地震よりも遥かにデカくて死が間近にあることを。

 

ごごごごごごごごごごごご!!

あまりの揺れに、立ち上がれないし、上手く動けない。
とにかく、嫁さんと子供が怪我をしないようになんとか覆いかぶさった(めっちゃ重かったらしい)

どのくらい揺れに耐えただろ?
落ち着いてきた
その瞬間3人で部屋を出た

家族の無事を確認し
真っ暗の家をみんなで飛び出した。

外は近所の人たちがみんないて、パニック状態だった。
僕も、映画の中に迷い込んだような非現実的な気分だった。

でも、抱きかかえた震える息子の振動で
確実にそこにある現実だと引き戻された。

僕がしっかりしなければ
僕が守らなければ
僕が判断しなければ

野田家は必要な荷物をグシャグシャの家の中から土足で持ちだして
近所の小学校へ避難した。

 

 

あれから5年

2021年4月15日。

崩れた家も
めちゃくちゃだった商店街も
休業してたお店も
人の心も

長い時間をかけて、ゆっくり治っていった。


当時2歳だった息子は


6歳になり
今年から地震の時に避難した小学校に楽しそう通っている。

二度と体験したいとは思わないけど
あの熊本地震のあと、なにげない毎日が前よりも大切に感じるようになった。


地震の時はお腹にいた娘も無事生まれ


親父もお袋も元気に暮らせてます。

よかった。よかった。

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